中国新聞社説(2000年1月11日掲載)
「自立の世紀」-教育改革
学校の裁量権拡大図れ
三次市から車で約一時間、口和町の山奥に木原信行さん(52)一家はいた。都会の子どもたちのための山村留学と、不登校の子どもたちのフリースクールでもある「スイス村」を経営する。町営畜産センター跡地を借りている。昨年、町が千三百万円を出して建物も一棟完成した。標高七百メートル、冬は雪で埋まる。しかし、子どもたちは生き生き活動していた。
木原さんは、広島市安佐北区の小学校を最後に教職生活にピリオドを打ち、1988年4月、一家七人で口和町に入ってきた。学校教育に限界を感じたのである。情操教育に力を入れても、家に帰るとテレビやゲームで暴力シーンにどっぷり。体格はいいのに健康には問題をいっぱい抱えている。家庭にも問題がある、と感じた。
学校も、やれ会議だ、研修だ、と忙しくなって、子どもと触れ合う時間が取れなくなった。学校教育を補完する教育の必要性を痛感し、子どもを受け入れる場所を探していたのである。
一昨年夏から子どもの受け入れを本格化した。いま長期の子どもが五人に短期滞在が加わる。集団遊びや共同作業を重視する木原さんは、子どもたちに、薪運びや、牛や鶏の世話を分担させる。ここには自然がある。川で泳ぎ、釣りを楽しみ、冬にはスキー。その代わりテレビゲームは禁止。食生活も添加物を避け、野菜中心だ。親に暴力を振るう子どもも、釣りに興味を持ったり、仲間に心を開くなど少しずつ変わっている。
木原さんの試みはそのまま、現在の教育の問題の裏返しである。家庭にも地域にも共同作業や集団遊びがない。人間関係がうまく取れない子どもが増えるはずだ。自然体験もないから感動も少ない。しかし、だれもが山村で学べるわけでもない。教育環境を改善できるのは地域の教育力である。地域と学校が協力して、子どもの集団遊びや体験を増やしたい。
しかし、学校は会議などで忙しい。広島市教委の教職員アンケートによると、子どもとコミュニケーションが取れなかった理由で一番多いのは「時間がない」(小学校69%、中学校64%)。だが、知恵と工夫で改革は可能だ。
神奈川県の浜之郷小学校では一人の教師が幾つも担っていた校務分掌を一人一分掌に整理した。会議は月一回の職員会議と随時の学年会だけになり、雑務が減って八割を授業や研修などに割けるようになったという(佐藤学著「教育改革をデザインする」)。
2002年度から完全週休二日制になり「総合学習」も導入される。総合学習は地域に開かれた学校づくりにつながりそうだ。文部省と教育委員会の方針に縛られ自立力の弱かった学校が、どこまで脱皮できるかにかかっている。それを可能にするためにも予算の裏づけのある裁量権を各学校に幅広く認めるべきだろう。学校が自立しない限り地域との連携も特色づくりも絵にかいたもちになる。
特に広島県の場合、「破り年休」問題などをめぐり、県教委と教職員組合の対立は厳しくなるばかりである。このままでは地域の協力も得にくく、教育改革も難航しそうだ。「子どもにとって何が最も良いことか」を考える点ではどちらも思いは同じはずだ。本音をぶっつけ合う場が必要ではないか。