朝日新聞 暖流寒流(2000年2月18日掲載)
子の健全な成長は感動体験から
学校が楽しくなくなった毅は、小学六年のころから欠席が目立ち、生活が荒れた。スイス村に来たのは中学二年の秋。アレルギー性鼻炎で、一日に何回も鼻をかむ。鼻水と鼻血がよく出た。あまり丈夫ではなかった。
彼は十二キロ離れた中学校に自転車で通った。大雪の日は歩いて行った。友だちがたくさんできた。いつのまにかアレルギー性鼻炎は治り、鼻をかまなくなった。
三年の秋。毎朝、自分から起きてジョギングを続け、町内のマラソン大会でみごと二着でゴールした。応援に駆けつけた母親は、息が切れそうな彼を抱きしめた。
健一は、小学三年ごろから不登校だった。中学三年間の大半をスイス村で過ごした。
彼は釣りの名人。小さな毛ばりも自分で作った。海で釣ってきた小アジやカワハギを刺し身にし、菊の模様にしてお皿に盛った。彼が問いだ包丁はよく切れすぎて危ないほどだ。ログ風の家をみんなで建てた時には大学生にコーチをした。
私は彼に、小学校の算数や漢字、ローマ字を基礎から教えていった。
今、健一は高校一年。エレキギターがうまい彼は、音楽仲間とバンドを組んで、練習に励んでいる。
不良仲間からはじきだされ、学校に行けなくなった中学二年の秀樹は、両親に連れられ、やって来た。来るなり、みんなの前でたばこを吸った。
野菜料理が嫌いで、高菜や小松菜を見ると、「これ、草?」と言ってほとんどはしをつけずに残した。
三、四ヶ月たったころには、偏食もせず何杯もごはんをおかわりした。農作業やスポーツで体を動かすとおなががすくのだろう。私は、機会あるごとに、野菜の大切さや食品添加物の怖さを話した。
「おれ、穏やかな顔になったのが自分でも分かる」と、もらしたこともある。よくキレていた彼は、「もし今度キレたら、大好きなギターを一週間弾かないようにする」と自分で約束し、めったなことではキレなくなった。
東京からやって来た幸男は小学四年。一年の時から不登校だった。青白い顔。警戒心の強い目。父親のそばから片時も離れることが出来ず、他の者と会話ができない。
ミミズ一匹さわれず、すぐ「パパ、手伝って」と言っていた彼が、自分でしかけたリールのさおで、五十三センチもの大きなコイを釣り上げた。
私が一本だけ見本に肥後ナイフで竹トンボを作ってみせた。それから幸男は暇さえあれば、そのナイフで竹トンボ作りに熱中した。
幸男はつい数ヶ月前まで、たえず母親や妹に暴力をふるい、家の物をあたり構わず壊す手におえない子だった。
毎晩、長距離電話してくる母親は「幸男がそんなに変わるなんて信じられません。町で思う存分遊べなかった分を、しっかり取り戻しているんでしょうね」とうれしそうに私に語った。
スイス村は標高七百メートルもある中国山地の山の中。理想の学校作りの夢を抱いて、教員を辞め、一家七人が移り住んだのが、今から十二年前。
今では大勢の青少年が訪れ、昨年だけでも、宿泊した延べ人数は二千人にもなる。
同じ野菜でも、育てる土壌や与える肥料によって、その成長が著しく異なる。子どもが育つ社会や、家庭の土壌が病んでいれば、子どもも病む。また肥料のやり過ぎや偏ったやり方は、野菜がうまく育たない。
同様に、無理な英才教育や知育偏重の教育は、子どもに弊害だ。一見、葉が茂って良さそうに見えても、根がはってないので、強い風を受けるともろくも倒されてしまう。
子どもたちにとって、さまざまな豊かな感動体験は、健全に成長するための糧となる。急いで葉を茂らせるより、まず、しっかり根をはらすことを心がけたい。長い目で見守ってやると、やがてたくさんの実を結ぶにちがいない。